★☆学連レースをこよなく愛する世界中の皆様!こんにちは。
いつも大変お世話になっております。西日本学生自転車競技連盟事務局の中の人です。
西日本学連選抜チームにて(以下WJICF)で11月18~26日にかけてインドネシア・スマトラ半島(パダン)を舞台にツール・ド・シンカラレース(UCI2.2)に選手6名・監督1名で参加してきました。
各々現地で感じたことを一番最後にレポート形式で記載しています。最後まで読んでいただければ幸甚に存じます。
選手は前回の西日本学連ニュースに述べたように下記の6選手+1監督のオール大学生チームで構成された。
(選手)
栗田龍之介(大阪経済大学 3回生)
久保田悠介(関西大学 3回生)
川嶋裕輔(中京大学 1回生)
吉岡優斗(立命館大学 3回生)
井上文成(岡山理科大学 2回生)
二宮誉仁(関西大学 2回生)
(監督)
福島綾野(京都大学 4回生)
話をいただいてから参加決定、出発までほとんど時間がなく約3週間弱、実質2週間ちょっとで全ての書類、必要不可欠な物を整える必要があった。とにかく時間がないの一言であった。
立命館大学茨木キャンパスにて出発2日前に石井章氏のミーティングを受ける選手たち。各々固唾とメモを取る。 photo:k.kitayama
上記と同じく立命館大学茨木キャンパスにて菊池津根徳氏からミーティングを受ける選手たち。 photo:k.kitayama
※この事前ミーティングでは現地での食事、暑さ対策、持参する物、海外レースの流れ等、現地での主催者への気配りなど、事細かく選手たちは話を聞いてメモを取っていた。約2時間ミーティングを実施した。
今回、一番苦労したことは事務作業もさることながら何より監督、スタッフを集めることであった。東西の学連関係者、OB・OG、実業団・クラブチーム関係者、知り合いの英語堪能な方、定年を迎えてお時間がある方など、出発までに多くの方に連絡してスタッフ、監督になっていただける方を探した。紆余曲折を得てインカレロード終了後からシンガポールに語学留学中であった京都大学自転車競技部マネージャーの福島綾野氏であった。英語も堪能で何より自転車が大好きで試合会場にいつもいる関西圏では知らない人はいてないマネージャーである。福島氏にお願いして快く了承を得た。ようやく、課題であった、選手6名、監督1名のギリギリの課題はクリアした。
【出発までの事務作業の道のり】
選手6名が正式に決まると絶対にしなくてはならない作業がある。パスポート申請、国際ライセンス申請、海外活動許可願、UCIID取得、主催者側からのエンロールメント作成、海外保険関係、各大学への推薦書(公欠の場合があるため)、各所属車連への副申書依頼と多岐に渡った。果たして出発までに間に合うのか!?出場することは既に決まったのでもう後戻りはできない。パスポート取得(未取得の方)、海外保険加入、国際ライセンス取得を各々に任せ、“UCIレター“と言われる日本の選手が海外で活動することをJCFが承認したという書類の申請に取り掛かる。海外レースの申請は実は初めてであり戸惑うこともたくさんあったがたくさんの方にご協力・ご尽力いただきレース出発までに何とか海外活動許可証を取得することができた。これで正式に海外のレースに出れる!あとは出発を待つだけだ。
たくさんの方にご協力・ご尽力いただきやっとの思いで手に入れた海外遠征許可願。※個人情報欄は削除いたしました。ご了承ください。
至る、11月15日(水)、関西国際空港19時集合で選手が集まった。なお、監督である福島綾野氏は現在海外留学中であるため留学先であるシンガポールからジャカルタに来ていただくよう事前にお願いした。すでに6名が早々に到着していた。
予備ホイールを梱包する吉岡(立命館大学) photo:k.kitayama
日本食を大量に持参する二宮(関西大学) photo:k.kitayama
空港で没収されたオイルやスプレー photo:k.kitayama
出発前に全員で記念撮影 photo:k.kitayama
左より 川嶋裕輔(中京大学1回生)二宮誉仁(関西大学2回生) 吉岡優斗(立命館大学3回生)井上文成(岡山理科大学2回生) 久保田悠介(関西大学3回生)栗田龍之介(大阪経済大学3回生)
マグネットは京都産業大学自転車競技部OB根津誠氏に作成していただいた物。選手からも車の判別がしやすく大変好評であった。 photo:Fukushima
OS-1の粉末も富和清訓ドクターより熱中症予防に差し入れいただいた物である。 photo:Fukushima
11月15日(水)全ての準備が整い選手たちは保安ゲートを潜り関西国際空港から羽田空港へ乗り継ぎ一路ジャカルタへ向かった。
ゲートを潜る栗田龍之介(大経大) 川嶋裕輔(中京大)吉岡優斗(立命館大) photo:k.kitayama
現地到着後ジャカルタへ到着後、無事に福島氏とも合流でき7名はパダン(都市名)に国内線に乗り継いだ。体調不良者も出ることなく、荷物の破損、ロストバゲージも無く大きなトラブルは皆無であった。
開幕前夜の主催者主催のパーティーでの様子。真ん中の長身の方は現地の王族の方だ。 photo:Tour de Singkarak
チームプレゼンテーション会場で。 photo:Tour de Singkarak
【個人レポート】
ここでレースに出場した選手6名のレポートを見ていただきたい。全レポートはあえて一切修正していません。ありのままを見ていただきたいからだ。
川嶋:
(第1ステージ)今日はスタート同時に逃げができていた。逃げを追おうと集団から次々アタックがあり、初めの登り2つまでがとてもきつかった。なんとか登り初めで前にいたためなんとかさがりながら登りをクリアできた。残りは下りや平坦だったのでなんとか完走できた。補給するタイミングが遅かったため、明日から早めにするようにしたいです。第1ステージ、今日はスタート同時に逃げができていた。逃げを追おうと集団から次々アタックがあり、初めの登り2つまでがとてもきつかった。なんとか登り初めで前にいたためなんとかさがりながら登りをクリアできた。残りは下りや平坦だったのでなんとか完走できた。補給するタイミングが遅かったため、明日から早めにするようにしたいです。
(レース2日目)今日は一級山岳があり、150キロだった。一級山岳前に補給ポイントが設置されているはずだったのだが補給ポイントがなくなったらしくそれに合わせてボトルを消費していたので補給がなくなり、一級山岳に入った、先頭がどんどんペースを上げ、集団が分解した。自分は初めはグルペットにいたのだが水がなくなり脱水症状気味になってしまった。サポートカーを呼んでいたのだが全然気づいてもらえず、一人で登ることになった、登りきり下りでカーペーサーを使ってなんとかグルペットに追いつきそのままゴールした。
(レース3日目)今日は逃げがすぐでき集団で160キロゆっくり走った一日だった。ゆっくりだったが先日の疲れがしっかり溜まっていた。
(レース4日目)今日は序盤に一級山岳があり、残りは下りで100キロだった。一級山岳で千切れてしまい。しばらくひとり旅になった。カーペーサーを使ってなんとか前のグルペットに追いつきそのまま30人ぐらいでゴールした。疲れがだいぶ溜まってきている。
(レース5日目)今日のレースは一つの山に一級が一つと超級が2つあるコース。これを乗り切ったらあとは下りでなんとかなるコースだった。山岳に入り、すぐに逃げ、メイン20人、第2集団30人40人ぐらいに別れ、なんとか第2集団に残り、下りに入った。下りは道が悪く、とてもコーナーがき使った。コーナーの入り口で前の選手が急にふくらみ、少し動揺してうちに入ったら段差で吹っ飛んで転んでしまった。幸いチームカーがすぐ近くにいて、すぐに自転車に乗れたものの、ペダルが折れてしまい、予備もなく残り70キロそのまま走った。サポートカーなどに助けてもらいなんとか集団に追いつき残りの下りをこなしてゴールまでたどり着けた。
(レース6日目)今日はフラットなコースだった。足の調子はそんなによくなかった。パレードが、終わり逃げがなかなか決まらず、ずっとペースが速かった。20キロ当たりで集団で落車があり、自分もそこに巻き込まれた、自転車の故障もなく、すぐに乗り直した。パダンの選手と二人で回していたが、集団のペースが速すぎて、サポートカーが来るまでに足がおわっており、カーペーサーをうまく利用できなかった。そのまま集団に追い付けず千切れてしまい、70キロ地点で降ろされてしまった。このレースで良かったことは、外国のプロの選手走れて、体験したことないようなスピードを体感できました。今回のほとんど毎日千切れてしまったんですけど、なんとか諦めず、チームカー(福島さんがうまくバラバラになった選手を集めてくれました)使いなんとか、6日間走ることができました。このレースで悪かったことは、きつくなってしまうと、すぐに下を向いてしまうのでそこを直して行きたいです。あと、日に日に食べる量が減ってきていたので、嫌でももっとしっかり食べて次の日にしっかり備えれるようにして行きたい。レース中に気が緩んでしまった部分が自分でも感じるほどあったので、ちゃんと最初から最後まで集中できるようにする。インドネシアでは、いっぱい写真を撮ったり、話したりとても楽しかったです。こんな経験をさせてもらって本当にありがたいです。
井上:
(第一ステージ)このステージは今回の大会の中では1番苦しく感じた。レースの後半はほぼフラットとで、前半の山岳をクリアできればなんとかなると考えていた。また、日本との気候の変化が大きかったので事前の対策として濃ゆめのドリンクを準備し、レース中の塩分補給を意識して行った。しかし、予想以上に出る汗の量や塩分濃度が高く、レースを半分程終えたところで脚が軽く攣り始め、ラスト7kmで両足攣ってしまい集団から千切れて最後ゴールした。
(第二ステージ)このステージはレース前半はフラット、中盤に一級山岳がありそれをクリアできれば完走が望めるステージでした。予想通り前半は集団で過ごし、一級山岳をクリアしゴールをすることができた。しかし、一級山岳ではプロと大学生の力の差を痛感した。全部で10kmに及び、所々の勾配が15%を超える山岳を経験したことがない速さで超えていくプロに付いて行くことは出来ずグルペットで何とか付いていける状態であった。
(第三ステージ)このステージはほぼフラットで、ステージ優勝を狙うチーム以外は休息感の強いステージになりレース序盤で逃げが決まり、逃げ切り優勝をした。そんな中で総合上位をかかえるチームはプロトンの先頭を40オーバーで引き続け、最終的に逃げの吸収はできなかったがゴール前の集団スプリントに向けた動きや雰囲気は初めて経験するものであった。
(第四ステージ)自分は第一ステージが終わった時点で膝に痛みが発生しこれまでの3ステージはテーピングやアイシングを行い痛みを我慢しながら走ったが、第四ステージの朝は膝が腫れあがり痛みも増してきていた。レース序盤がフラットだったので出走はできたが登りに入るとトルクをかけた走りをすることが出来ず集団から千切れ、レースを棄権した。また、レースを棄権してからはメカニックやマッサージ、洗濯などを棄権したメンバーで分担して行い選手がストレスなく走れるようにサポートを行うことができた。
(全体を通して)日本のレースとは異なり集団の密度はあまり高くなくレース経験が少ない自分でも安心して走れた。また、集団の後方を走っても中切れが起きる心配はなかった。一方で、詳しいコースがわからない中での高速ダウンヒルは非常に怖く、度胸とブレーキング技術が試された。また、1,2,3ステージを通して新たな自分の走りの課題や、海外レースを走る際に気を付けるべきこと、準備すべきものを学ぶことができたのでの今後の活動に活かしていきたい。膝の痛みの原因については体の柔軟性が低いことや、連続で高強度のレースを走る耐性がなかったことが考えられので、今後の練習方法や、体のメンテナンス方法を改善していきたい。
吉岡:
今回tour de singkarakへのお話を頂いたのは、出発の約2週間前。絶対いい経験ができる面白い機会だと二つ返事で行くことになりました。そこから急ピッチで準備を始めましたが、間に合わなくてもおかしくない。それほど短い期間でした。しかしライセンスや航空券の手配を西日本学連の北山さんをはじめ多くの人に裏で準備していただいたお陰で「僕は」スムーズに進み無事出発することが出来ました。
11月16日ジャカルタに到着。そのまま乗り換えスマトラ島へ向かう。現在日本は冬。一方赤道直下のインドネシアは雨季。曇ってはいるものの、常に汗ばむ高温多湿。はじめは温室にいるかのよう。また、ここから宿泊するホテルまで移動。迎えの待ち時間がかかったことよりインドネシアの交通事情に戸惑った。常にクラクションを鳴らし反対車線を走る。外は真っ暗。2、3人乗りの原付がわらわらと突っ込んでくる。生きた心地がしない。そんなこともありホテルは全く期待していなかったが、想像以上にいいホテルで驚いた。その日は自転車を組んで終了。
11月16日お昼過ぎから1時間ほど自転車に乗りに行く。思っていたより道もよく危なさを感じなかった。この日の夜、オープニングセレモニーに行き食事をするのだが、噂で聞いていた素手でご飯を食べるという一大イベントが待っていた。自分はお腹が弱いのでいけるかどうか周りの様子を伺いながらタブリーズなどの選手が手をつけていないものは食べないなど自衛した。
11月18日第一ステージ。この日はとても晴れて暑かった。身支度を済ませサイン。ここからスタート地点に行くが何の前触れもなくスタート。最初はパレードのため真ん中らへんでキープ。リアルスタートは道幅の狭い緩斜面。ペースは速いが千切れるほどではなくクリア。長いくだりを過ぎ長い緩斜面の途中で前輪がパンク。ペースがはやいのでそのまま集団の後ろにくっつき気持ち落ち着いたところでとまる。車列が後ろなので来るまで時間がかかりそわそわしていたが何とか交換。ここからカーペーサーで集団に復帰しようとしたが、なぜかコミッセールに使うなと言われ自力に。とりあえず自力では集団には追いつかないので明日につなげるためとりあえずゴールを目指す。前方のパックに追いつくが体調不良でやめる人のため1人でその後20分ほど走ってきられた。もう少し余裕を持った走りが出来ていれば対処できていたかも知れない。レース自体はすぐに終わってしまったが、チームカーに乗りサポートすることで普段経験できないインドネシアという環境でのレースや違う視点からレースを見ることができ、とても刺激の強い濃厚な2週間を過ごす事が出来ました。
栗田:
結果からいうと自分は第一ステージでリタイアとなった。ツールドシンカラ第一ステージでリタイアとなった。一日目でレースが終わってしまった私のレースレポートは内容が薄いので二日目以降に残った選手のレポートでレース内容は見ていただきたい。私はそれ以降選手サポートととなった。二日目以降に残った選手は三名で、私は主にレース後のマッサージや同じくリタイアの二宮メカニックの手伝いをした。レースが終了するとゴール地点から宿ま2~4時間ありレース後の疲れと移動の疲れがある足をマッサージする。足先から徐々に心臓へ向けて血流を流したり、足の筋肉をやわらかくするために揉んだ。自分の知っている知識だけでは技術が少なく最初は二宮からもアドバイスをもらって自分だけでは知らなかった方法やつぼがあり教えてもらって早速使わせてもらう。素人のためマッサージに効果があるかはわからなかったしぎこちない動きで不快感もあったかもしれないが選手は皆受けてくれた。一人約三十分程度のマッサージが終わると二宮の手伝いに行く。一人で三台の自転車を整備、洗車、注油はもともと選手で来ていてメカニックでもなく要領が掴めなかったので二人で行う。私は変速機は触れないので主に洗車を行い、時には日をまたぐこともあったが、自分たちより走り続けている選手のほうが大変なんだと思いサポートに尽くした。後半には人数も減り要領もつかんできたのでマッサージもメカニックも日をまたぐことはなくなっていき精度、技術が上がっていったと感じていた。次の日、また次の日と走る選手がいる中で何をしにせっかくの機会をいただいてインドネシアに行ったのか、なぜ自分は走らずにサポートをしているのか、と思うことも多々あった。ただその悔しさや経験は自分だけのものにせず自分の後輩に伝えられることを伝えて行きたい。
二宮:
こんにちは。関西大学二回生の二宮誉仁です。今回ツールドシンカラにWJICFとして参加させて頂きました。この大会の前から調子は上がっており遠征前の合宿で最後の追い込みを行い合宿中に発症した腰痛が気になるものの良いコンディションで参加しました。走る前は自信とやる気楽しみで溢れていました。インカレのロードでDNFになってしまい、悔しさもありこれではいけないと思いインカレ終了後も練習も行いモチベーションが上がっている中で試合に挑むことができました。しかし、脚の調子は良かったもののパレードランから腰が痛み始めレース中盤になるころはペダルを踏むと激痛が走りサドルに座っているのも厳しい状況でした。でも、日本で応援してくれているたくさんの方や街道で応援してくれてる現地の人の熱い応援を力に変えて踏み続けましたが初日でDNFになってしまいました。凄く悔しくて涙が出そうなほど悔しかったです。次の日からはチームのサポートに徹しました。今回の遠征チームメンバーにはメカニックもマッサージャーもいません。僕たちはプロではなく学生で作られたチームですから。今自分が出来ることはWJICFで一人でも多くの完走者を出すこと。他のチームのメカニックがしていることを目で盗んだり、話を聞いたりなどして次の日に自転車が完璧な状態で選手に受け渡すことを心がけました。しかし、レースはとても難易度が高く日に日にWJICFのメンバーはDNFになってしまい最後は先輩である久保田さん一人が完走することができました。チームで団結して完走できたのは凄く嬉しかったです。嬉しい反面また先輩と差が出来てしまったのは自分の中では喜べませんでした。自分より競技経験が少ない先輩が完走出来て、自分が完走出来ないのか。遠征期間中たくさんのことを学ぶことが出来ました。この貴重な経験を生かして来年のインカレは今年より一皮いや、二皮剥けれるようにオフシーズン過ごしたいと思います。もし、またチャンスがあればもう一度行きたいと思っています。最後に全国の自転車に乗っている日本人の方々。彼女が出来ないと困っているならばインドネシアを強くオススメします。凄くモテますよ、マジで。
久保田:
出発の準備をするにあたって、基本的に向こうでは白ご飯以外手を付けないほうがいいと聞いていてので缶詰、レトルトカレーなどを準備した。結局毎日分用意したが消費したのは半分くらい。ホテルが一日を除いてすごくきれいでビュッフェ形式で魚のフライ、鳥を辛く焼いたもの、野菜炒めみたいなものがあったのでそれほど困らなかったが、白ご飯は日本と違ってぱさぱさしていて4日目くらいから本当に食べたくなくなった。パスタ、パン、コーンフレークなどでやり過ごした。自転車の梱包もネットで調べて出てきたとおりにやれば何ら問題はなかった。梱包の袋は一応飛行機輪行用のソフトケースを使った。向こうの空港に着いてすぐにコーディネーターさんのような人が迎えてくれたがホテルまで移動するための車がなかなか来ない。結局2時間以上空港の外で待っていた。他チームも同じ状況だった。向こうで何をするかと言ったら寝る―バス移動―レース―バス移動―寝る大まかにいえば本当に毎日これの繰り返し。特にバス移動が長い。スタートまでの移動で2時間とか、ゴールしてから4時間とか普通にある。僕は基本的にずっと寝ていた。交通法規があるのかないのかよくわからないような運転なので目を開けていたら、怖くて疲れてしまう。寝るのが一番いい。寝れなくても基本的に目をつぶっていた。9ステージではスタート前の移動で酔ってしまい最悪だった。酔い止めは準備しといてもいいかもしれない。何が一番楽しかったって、女の子にちやほやされることだ。フォトok?サインok?日本じゃありえない。もちろん写真もサインも書きます。けどサインなんてないので日本語で自分の名前を書くくらいです。 なぜ9ステージ完走できたか?先ほど書いたようにチーム一丸になれたこと、日本からたくさんの応援があったことがある。走りに関していえば省エネを徹底した。とにかく省エネ。そして集団内で一番足を休めているのは自分と思い込んでいた。集団内での位置はほとんどの時間集団最後方にいた。ふらふらしても誰にも怒られない。ストレスなく走れるのがよかった。タイトなコーナーとかもほとんどないので立ち上がりとかは全く気にせず良かった。エリミネーションのような走り方をしてた。下りから上り返しでは下りの勢いを使ってなるべく足を使わず登りをクリアするようにしていた。レースの強度は序盤のアタック合戦、ゴール前のスピードアップがしんどい。そして登りでどれだけ我慢できるか。何度も千切れかけた。そして千切れた。たとえちぎれてもあきらめずに踏めば追いつける。しかし九ステージ目ではちぎれていつも通り踏み続けたが追いつけなかった。もう本当に足がスカスカだった。最後のステージにしてdnfがよぎったが、幸い数名他の選手も千切れていたので協力しつつ完走をした。
このような海外遠征という機会を与えてくださり本当にありがとうございました。今回学んだ経験をもとに学連で活躍できるように精進してまいります。これからもよろしくお願いします。
立命館大学茨木キャンパスにて報告会を行った。photo:k.kitayama
photo:k.kitayama
【 あとがき 】
WJICFチームは久保田(関西大学)の49位で残りのメンバーはDNFという結果でした。オフシーズン間際のハイレベルな国際大会を経験することによって競技力の更なる向上、経験、チームでの協力体制を経験できたと思う。この経験を来季以降も学連大会、各々のチームで語り継ぎ、レースで大いに活躍してほしいと切に願う。
また、今回の遠征はたくさんの方のご協力なしでは到底行けない遠征であった。選手たちの海外レース出場にご理解していただいたご父兄の皆様、香川県自転車競技連盟、岡山県自転車競技連盟、大阪府自転車競技連盟、福井県自転車競技連盟、三重県自転車競技連盟の5つの各車連の事務局の方々、日本自転車競技連盟の大脇恒夫氏、白崎考紀氏、立命館大学自転車競技部OB足立和哉氏、西日本学生自転車競技連盟の皆様にはこの場をお借りして感謝申し上げます。