みなさんこんにちは!慶應義塾大学の大前翔です。
さて、前回は、文武両道というテーマで、私の幼少期から少年期までを振り返りました。
今回は、私の中学校時代の、人生を賭けてきた水泳というものへの心情の変化から、自転車競技を始めるところまで、綴らせて頂きたいと思います。
過去の大前選手の記事はこちらから! 文武の道にいばらあり!①
小学校4年生の終わりの春、私が全国大会で、年代別優秀選手に選ばれるほどの活躍をしたことは前回書きました。それで、暫くの間、私はすっかり有頂天になってしまったのでした。
快挙とも言える活躍をしたJOC以降、私のベストタイムの伸びは、一切止まってしまいました。毎試合、大体ベストタイム+0.5秒くらいのタイムが上限だったように記憶しています。
ベストが出ない焦りや苦悩はありましたが、それでも、東京都や関東レベルの試合なら十分優勝でき、周りから賞賛されるタイムだったので、私はそれについて暫く楽観的でした。
しかし、その後1年間、タイムは更新されることがなく、状況改善のためにと繰り返したフォーム改善などの試行錯誤が全て裏目にでて、むしろ3秒も、1年前のベストタイムから遠ざかってしまったのです。
ここまで、トントン拍子で成績を出してきた私にとっては、これが人生で最初の挫折でありました。ただひとつ、ベストを更新できない自分を許容する心の支えとなっていたのは、自分が中学受験の勉強のために、水泳の練習の比重を従来よりも少し落としていたことでした。
さしずめ、小5、小6の2年間は、水泳ではベストタイムこそ更新できませんでしたが、受験が終われば、また水泳に熱中して、全国でも活躍できる選手に戻るはずと信じて、地道に水泳と勉強の両立を続けたのです。
ところが、無事中学校に合格して、水泳に熱中できる環境に戻ってからも、私のタイムは芳しくない状態が続きました。
苦肉の策で、7年間通い続けたスイミングクラブを辞め、神奈川県にあった名門スイミングクラブに入籍し、毎日必死で練習に取り組みました。
前回述べた、のちに共にリレーメンバーとして全国中学優勝を果たすことになる同期たちは、中学校入学当初は、まだ私よりも持ちタイムの遅い3人でした。
しかし、中学入学後、スランプに陥っている私を横目に、3人はグングンタイムを伸ばしていきます。つられるようにして、私も若干タイムを更新できるようになりましたが、成長のスピードの差は歴然、日に日に私は同期たちに追いつかれていきました。
勉強の方も、私をさらに追い詰めました。私の中学校は、毎週理科実験を行い、1週間後提出の持ち帰りレポートを書くという特殊な伝統があり、学年1,2の成績を争っていた私は、そのレポートにも甚大な時間を割いて注力せざるを得ませんでした。
自分の完璧主義がそうさせたのです。日々のハードトレーニングと睡眠不足が重なり、肉体的にも精神的にも追い込まれた日々を過ごしました。
中学3年生、中学最後のシーズンは、チームの主将を任されました。私以外のリレーメンバーはそれぞれ個性が強く、彼らを客観視してまとめる事を、コーチが私に期待したのでした。
「泳ぐのが遅い主将」、そんな言葉が頭をよぎって、そう言われない為の一層の努力をし、全身全霊をかけて練習して、最後の全国中学に臨みました。
結果は前回述べた通り、リレー2種目制覇、連覇達成。私のタイムもリレーメンバーの足を引っ張るものではなく、最終的には大成功、私の中学校の水泳部創部以来の快挙となりました。
そして私はある種の「出し切った感」を感じたのです。
物心ついた時から続けてきた水泳。それをやめるなんて選択肢は、私の頭にはその時には微塵もありませんでした。
しかし、全国中学が終わって暫く精神的に落ち着いた日々を過ごし、冷静になってみると、再び私が、リレーでなく個人種目で、全国のトップの舞台で戦っている姿を、想像できなくなっていることに気づきました。
人生の早い段階で、全国のトップでの活躍というものを経験してしまった私は、それ以降、ノルマがそのレベル以上に設定されてしまい、生半可な成績やタイムでは、満足できなくなってしまいました。中学校時代、勉強を3年通じて頑張ったのも、入学後最初の定期試験で、学年2位をとってしまったからです。
つまり、私は自身の完璧主義や過度の向上心によって、自分自身をより高い方向へ追い詰めていこうとする気質があるのです。全国のトップでの活躍が期待されない以上、あれだけ熱中し、青春を費やした水泳は、もはや私にとって面白いスポーツではなくなりました。
強い選手の研究のために一日30分時間を作って見ていた世界水泳の録画を見なくなり、YouTubeをサーフィンするようになりました。そしてその折、新たな光がふと私の眼に舞い込んできたのです。
文脈から想像がついた方もいらっしゃると思います。これが私の自転車競技のルーツなのです。YouTubeでツールドフランスの動画を見て、取り憑かれてしまいました。
自分の脚ひとつで標高2000m級の山を軽々超え、3週間かけてフランス1周する。こんな頭のネジが外れまくった競技が他にありましょうか。
水泳をやめて自転車をやりたい、という両親への告白は、私が両親とこれまでしてきた対話の中では、群を抜いて一番シリアスで、緊張しました。最初は父は難色を示しましたが、私の決意が固いのを分かってくれ、最終的には認めてくれました。
中学時代の水泳に対する心情の変化から、自転車競技を始めるところまでを振り返りました。
最終回となる次回は、私を競技転向に導いた岩壁のように硬い完璧主義を打ち砕いた一大事件を振り返り、現在私が文武両道という言葉に対して抱いている私見を述べて、締めくくりたいと思います。
ぜひご一読ください!