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文武の道にいばらあり!③ 慇懃高校生、スライム系大学生になる!?

みなさんこんにちは!慶應義塾大学の大前翔です。
さて、最終回となる今回は、前回ご説明した私自身の完璧主義を題材にし、まずは医学部を志望した経緯を振り返ってから、完璧主義を崩壊させた1つの大事件を振り返ります。

過去の大前選手の記事はこちらから!
文武の道にいばらあり!①
文武の道にいばらあり!②

YouTubeでツールドフランスの動画を見て自転車競技の面白さに取り憑かれ、私は自転車競技を始めることにしたのでした。それが、中学3年生の秋です。
本当は、すぐにでも始めたかったのですが、機材も、ウエアも、知識も何もなかったものですから、暫くは、水泳の練習を続けながら、自転車競技に関する情報を収集する日々を過ごしました。
そして、年が明けた1月、苦肉の策の移籍から2年半、お世話になったスイミングクラブを辞め、なにひとつわからない、誰も導いてくれない自転車競技の世界に足を踏み入れました。

ガッツリ初心者感を漂わせる、初めてロードに乗る前の記念写真

この過程が、勉強の方にも、私の心境に大きな変化を及ぼしました。医学部を目指すようになったのです。

自転車競技のトレーニングの大きな特徴は、「自分の運動を定量化して可視化できるデバイスが存在し、そのデータを後々にわたって管理できる」ということです。
つまりは、サイクルコンピュータ、突き詰めればパワーメーターのことなのですが、私の眼にはこれが、新しい希望の一筋のように写ったのです。

もともと、自分自身がスポーツをすること以外に、トレーニングを構成する側、つまりトレーナーやマッサーの仕事にも興味があった私は、自転車競技を始める過程で、「自分が自分のトレーナーになる」ことをとても楽しみにしていました。
それで、トレーニングに関する書物やウェブページを読み漁り、基礎知識を習得したのでした。試験の勉強はよくできたものの、自分の将来についてあまり深く考えていなかった私でしたが、ふと「アスリートを支えるトレーナーか、マッサーになれたらいいな」と考えました。しかし、慶應義塾の学部の中に、それらになることのできる学部は存在しません。
そこで、それらを包括する、医学部の選択肢が挙がりました。より深く調べると、マッサーやトレーナーとして活動する上で、医師免許をもっていると優位性がある、といったことが分かってきました。こうして、私は医学部を目指す覚悟が決まりました。

慶應義塾の自転車競技経験者はそのほとんどが高等学校からの内部進学者で、その他7割以上の部員は大学から自転車競技を始める

医学部を目指すとなると、内部進学でもその勉強は至難です。700人いる1学年のうち、医学部に進学できるのは22人。常にクラス1位の成績をキープしていないと、医学部進学に安心な内申点は確保できません。

そして、この内申点を巡って、私の完璧主義が、思わぬところで打ち砕かれることとなるのです。

高校2年生の後期期末試験の2週間前、私は発熱、悪寒、関節痛に襲われていました。インフルエンザです。私の場合、クラスで1位をとるための定期試験の勉強は、試験3週間前くらいから始めて、2週間前くらいから本腰を入れるのが通常です。
しかし、インフルエンザのせいで、机に向かうにも頭は働かず、かといって寝て回復を待つだけというのも私の精神が許すわけもなく、病体に鞭を打ち、3時間睡眠で勉強を続けました。そのためにインフルエンザの症状も長く続きましたが、1週間ほどで完治し、それからはさらにギアをかけて、1時間半睡眠で勉強に取り組みました。
ご飯の時間も、母におにぎりを握ってもらって食べながら資料を読み、湯船に浸かる時もふたの上に教科書を載せて読みました。また、眠気を抑えるため、コーヒーを時に一日2リットル飲むこともありました。当然胃は荒れましたが、私の完璧主義は、インフルエンザで勉強できなかったことが期末試験の成績を低下させることを許しませんでした。

16年度浮城のまち行田クリテリウムでクラス1に昇格

そうして結末は、皮肉なことに、期末試験2日目の夜に、自律神経失調によって倒れてしまったのです。
意識を失ったわけではないので今でも覚えていますが、なぜか涙と声だけは出て、自分の意思は明瞭にはわからない、そして全身は硬直して動かない、そういった状態で、リビングで、両親の目の前で、倒れてしまったのです。

精神的、神経的なものだったので、症状は1時間ほどで収まり、体は鉛のように重たいながらも動かせるようになりました。救急車は呼びませんでしたが、翌日は試験を休んで病院へ行くことになり、その診断結果からそれ以降の試験も休むことになり、残りの試験を受けることができませんでした。
勉強に関して、人生で初めての挫折です。それも、実際に試験を受けて挫折したわけではないのが、最も大きな問題です。中島敦の『山月記』の言葉を借りれば、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」によって、私は試験の点数が悪いかもしれないという危惧から試験を受けることができず、また試験を受けずして挫折したのでした。
これは私にとって、かなりショッキングでした。

最終的には、試験の成績は、日頃の私の頑張りを見てくださっていた高校の先生方が、見込み点を高く評価してくださったおかげで、医学部進学に全く差し支えないものに収まっていました。
しかし、試験を受けずして高い成績をもらった自己への反省は深く、また自身の完璧主義への強い執着が招いた失態を重く捉え、それからは、自分を無理に追い込むことは一切やめました。
つまりは、完璧主義からくる義務感で物事を遂行しようとすることは一切なくなりました。

16年度学生個人ロードでの筆者

高校2年生までの私にとって、「文武両道」、及び、勉強とスポーツそれぞれで結果を出すことは、私自身の展望ではなく、義務となっていました。
完璧主義がそれらを縛り付け、尊大な羞恥心によって、それらが達成できなさそうな時は、逃避に走ってしまっていました。先に述べた一大イベントによって、私の完璧主義は打ち砕かれ、私は今「展望」として、文武両道を掲げています。

人間、頑張っても無理なことはあります。然るべき時に出来る精一杯を尽くして、それでもどうにもならなかった時には、大人しく赤っ恥をかけば良いのです。
高校2年生以前の私は、それができませんでした。

こうした心境の変化は、レースやタイムトライアル、試験直前やプレゼンテーションの前など、いわゆる「本番前」の精神状態に、安定をもたらしてくれます。

以前の私なら、「本番はこうでなくてはならない」という理想像に縛られて、それを実現するために、必要以上の緊張と不安を背負っていました。
対して現在は、「今、本番に向けて出来ることは何もない。本番が始まったら、大人しく全力を尽くすだけ。その結果がどうなっても構わない。」と考えることにより、プレッシャーが驚くほど減少しました。
定期試験の前日や当日朝に「謎の余裕」を感じる人は多くいると思いますが、そういう人の心理状態は、これに近くなっているのかもしれませんね。

プレッシャーなく試合に臨めたことも、インターハイ2位という成績を残せた理由の1つ

3回にわたり、文武両道をテーマに、私の20年の人生のターニングポイントを振り返ってきました。この文章を通じて、「何かしら」を感じ取ってくださったら、本望です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

文武の道にいばらあり!② 水も滴るマッスル中学生、車輪も回る汗だく高校生になる

みなさんこんにちは!慶應義塾大学の大前翔です。
さて、前回は、文武両道というテーマで、私の幼少期から少年期までを振り返りました。
今回は、私の中学校時代の、人生を賭けてきた水泳というものへの心情の変化から、自転車競技を始めるところまで、綴らせて頂きたいと思います。

過去の大前選手の記事はこちらから!
文武の道にいばらあり!①
小3、JOCカップ決勝にて(大前選手は手前から二人目)

小学校4年生の終わりの春、私が全国大会で、年代別優秀選手に選ばれるほどの活躍をしたことは前回書きました。それで、暫くの間、私はすっかり有頂天になってしまったのでした。

快挙とも言える活躍をしたJOC以降、私のベストタイムの伸びは、一切止まってしまいました。毎試合、大体ベストタイム+0.5秒くらいのタイムが上限だったように記憶しています。
ベストが出ない焦りや苦悩はありましたが、それでも、東京都や関東レベルの試合なら十分優勝でき、周りから賞賛されるタイムだったので、私はそれについて暫く楽観的でした。
しかし、その後1年間、タイムは更新されることがなく、状況改善のためにと繰り返したフォーム改善などの試行錯誤が全て裏目にでて、むしろ3秒も、1年前のベストタイムから遠ざかってしまったのです。

ここまで、トントン拍子で成績を出してきた私にとっては、これが人生で最初の挫折でありました。ただひとつ、ベストを更新できない自分を許容する心の支えとなっていたのは、自分が中学受験の勉強のために、水泳の練習の比重を従来よりも少し落としていたことでした。
さしずめ、小5、小6の2年間は、水泳ではベストタイムこそ更新できませんでしたが、受験が終われば、また水泳に熱中して、全国でも活躍できる選手に戻るはずと信じて、地道に水泳と勉強の両立を続けたのです。

小4、JOCカップ表彰式にて

ところが、無事中学校に合格して、水泳に熱中できる環境に戻ってからも、私のタイムは芳しくない状態が続きました。
苦肉の策で、7年間通い続けたスイミングクラブを辞め、神奈川県にあった名門スイミングクラブに入籍し、毎日必死で練習に取り組みました。

前回述べた、のちに共にリレーメンバーとして全国中学優勝を果たすことになる同期たちは、中学校入学当初は、まだ私よりも持ちタイムの遅い3人でした。
しかし、中学入学後、スランプに陥っている私を横目に、3人はグングンタイムを伸ばしていきます。つられるようにして、私も若干タイムを更新できるようになりましたが、成長のスピードの差は歴然、日に日に私は同期たちに追いつかれていきました。

スランプの時期。タイムが出ないだけに、ベストを更新できた時は嬉しさに観客席の父へガッツポーズする

勉強の方も、私をさらに追い詰めました。私の中学校は、毎週理科実験を行い、1週間後提出の持ち帰りレポートを書くという特殊な伝統があり、学年1,2の成績を争っていた私は、そのレポートにも甚大な時間を割いて注力せざるを得ませんでした。

自分の完璧主義がそうさせたのです。日々のハードトレーニングと睡眠不足が重なり、肉体的にも精神的にも追い込まれた日々を過ごしました。

中学3年生、中学最後のシーズンは、チームの主将を任されました。私以外のリレーメンバーはそれぞれ個性が強く、彼らを客観視してまとめる事を、コーチが私に期待したのでした。
「泳ぐのが遅い主将」、そんな言葉が頭をよぎって、そう言われない為の一層の努力をし、全身全霊をかけて練習して、最後の全国中学に臨みました。

結果は前回述べた通り、リレー2種目制覇、連覇達成。私のタイムもリレーメンバーの足を引っ張るものではなく、最終的には大成功、私の中学校の水泳部創部以来の快挙となりました。

そして私はある種の「出し切った感」を感じたのです。

物心ついた時から続けてきた水泳。それをやめるなんて選択肢は、私の頭にはその時には微塵もありませんでした。
しかし、全国中学が終わって暫く精神的に落ち着いた日々を過ごし、冷静になってみると、再び私が、リレーでなく個人種目で、全国のトップの舞台で戦っている姿を、想像できなくなっていることに気づきました。

人生の早い段階で、全国のトップでの活躍というものを経験してしまった私は、それ以降、ノルマがそのレベル以上に設定されてしまい、生半可な成績やタイムでは、満足できなくなってしまいました。中学校時代、勉強を3年通じて頑張ったのも、入学後最初の定期試験で、学年2位をとってしまったからです。
つまり、私は自身の完璧主義や過度の向上心によって、自分自身をより高い方向へ追い詰めていこうとする気質があるのです。全国のトップでの活躍が期待されない以上、あれだけ熱中し、青春を費やした水泳は、もはや私にとって面白いスポーツではなくなりました。
強い選手の研究のために一日30分時間を作って見ていた世界水泳の録画を見なくなり、YouTubeをサーフィンするようになりました。そしてその折、新たな光がふと私の眼に舞い込んできたのです。

小4、JOCカップスタート前

文脈から想像がついた方もいらっしゃると思います。これが私の自転車競技のルーツなのです。YouTubeでツールドフランスの動画を見て、取り憑かれてしまいました。
自分の脚ひとつで標高2000m級の山を軽々超え、3週間かけてフランス1周する。こんな頭のネジが外れまくった競技が他にありましょうか。

水泳をやめて自転車をやりたい、という両親への告白は、私が両親とこれまでしてきた対話の中では、群を抜いて一番シリアスで、緊張しました。最初は父は難色を示しましたが、私の決意が固いのを分かってくれ、最終的には認めてくれました。

中学時代の水泳に対する心情の変化から、自転車競技を始めるところまでを振り返りました。
最終回となる次回は、私を競技転向に導いた岩壁のように硬い完璧主義を打ち砕いた一大事件を振り返り、現在私が文武両道という言葉に対して抱いている私見を述べて、締めくくりたいと思います。
ぜひご一読ください!

ぶらり部室と寮の旅【⑥鹿屋体育大学編】

全国の大学自転車競技ファンの皆さん、こんにちは!
日本学生自転車競技連盟学生委員長の方山堯です。
すでに恒例化したこの部室取材記事、今回は鹿屋体育大学の中井彩子選手に鹿屋体育大学の”倉庫”を紹介してもらおうと思います。
それでは中井選手、よろしくお願いします!

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みなさんこんにちは!鹿屋体育大学の中井彩子です。
今回の部室記事は、全国でただ一つの国立の体育系大学、鹿屋体育大学です!

2016年度インカレでは男女総合優勝を果たしました!

16年度インカレ1㎞TT優勝、ナショナルチームでも活躍する、堀航輝選手(3年)、
大学から自転車競技を始めた一般入学生、新田東弥選手(1年)、
そして私、「こけし」の愛称でお馴染みの、中井彩子(2年)でお送りいたします。

過去の「ぶらり部室と寮の旅」はこちらから!
ぶらり部室と寮の旅【①早稲田大学編】
ぶらり部室と寮の旅【②龍谷大学編】
ぶらり部室と寮の旅【③京都産業大学編】
ぶらり部室と寮の旅【④同志社大学編】
ぶらり部室と寮の旅【⑤大阪経済大学編】

Q.部室について教えてください。

堀「ここでは部室ではなく、『倉庫』、とみんな呼んでいますね。とにかく、広い!(笑)」

新田「奥に入ると、団らんスペースもありますものね!僕にとっては、お家のような落ち着く場所です。授業の空き時間や昼休みにフラっと帰ると、必ず誰かしらいて。」

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ローラー練習もバッチリ、天井にはcannondale バイクがズラリ。

中井「そこで誘い合って一緒にご飯いったり、自主練でロードに出たりとか。テスト前になると、勉強室になったりしますよね~。
勉強できない子は、倉庫に行けば先輩たちの優しーい講習が受けられるかも(笑)

堀「ロッカーや、テレビ(モニター)、冷蔵庫もあって、ほんまに家かってくらい!ローラー8台、パワーマックス、ワットバイクとトレーニング機器もそろっとるし。ミーティングも倉庫に集まってできるし。」

堀「あとは倉庫から出てすぐの夕日が最っ高に綺麗!

中井、新田「ああー!!!(激しく同感)」

新田「練習後に『失礼します!』で撮影!倉庫出て、夕焼け撮って帰る流れですよね(笑)」

堀「朝練前の朝焼けも、昼の青空も、夕焼けも、夜の星も、田舎の鹿屋のいいところ!」

 

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向かいの薩摩半島まで見渡せる

Q.学生寮の事情について教えてください。

堀「自転車部の寮ではなく、学生寮。他の部活の学生と一緒です。部屋は個室の六畳。風呂やトイレ、キッチンは共用。
役職も階ごとにあって、おれは保安委員。B棟2階の治安はおれが守っとる(笑)

新田「お隣さんともよくあいさつするし、ほかの部活の人たちと一緒なので楽しいです。」

中井「女子寮では『4階会』とか称して、みんなでおでんや鍋したりとか!」

堀、新田「男子はそういう女子力ないわー(笑)」

自転車部内では、ちょくちょく鍋パやタコパを開催しているようです。

Q.大学について教えてください。

堀「練習環境はもう最高。田舎だから信号ないしロード環境がいい。バンクも近いし、雪も降らんしな。あとは、大学から20kmちょっとでバンクにも行ける。」

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バンク行き放題、練習し放題!

中井「女子は男子に混ぜさせてもらって練習です。ロード練習では、ちぎれては男子に背中を押してもらって集団復帰の繰り返しで…、申し訳なさと不甲斐なさで心も身体もボロボロになります(泣)。
でもカフェや足湯で休憩したりして、オンとオフというか、厳しい中にも束の間の休息というか、だから頑張れるというか。」

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足湯さえあれば、疲れもスッキリ取れちゃいます

新田「勉強面では、保健体育の教職科目だけでなく、スポーツ科学やスポーツ栄養学などといった専門知識が学べます。競技に生かせるので授業がとても楽しいです!
高校の知識で言ったら、物理や生物がつながっていますね。授業数は一年生は多いです。空きゴマ(授業がないこと)がほとんどないけど、最大4限(15:50)までだから、練習時間には困りません。

堀「3年生になると授業数も減って、1日1.2時間くらい。あ、単位とらんと減らんよ?(笑)」

中井「施設については、倉庫の50m圏内にウェイト場、保健管理センター、トレーニングセンター、図書館、学食、教室。500mで学生寮だからほんとにコンパクトで便利。
歩いて5分で、『アス食(鹿屋アスリート食堂)』もあるし。ここも自転車部が誰かしらいるから寂しくなくていいなぁ。」

昼は11:30〜夜はなんと23:00まで営業している『アス食』は、遅くまで練習する体大生の味方。自然と自転車部が集まります。

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お昼の時間です♪

Q.最後に高校生をはじめ、全国の自転車競技のファンの皆様にメッセージをお願いします!

新田「ゼロからのスタートでしたが、先輩や同期に優しく教えてもらっています。
トップレベルの選手と一緒に練習ができ、スポンサー様のおかげで競技に集中できます。自転車を始めるには最高の環境です!」

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部員一同、鹿児島でお待ちしています!

中井「ここの部は男女分け隔てなくみんな仲が良くて、練習面でも生活面でも、いい意味で女子として特別扱いされない。女子選手大募集です♡
友達も体育会系でサバサバしているし、元気で面白い人ばかり。授業もすべて競技につながります!」

堀「高校生の皆さんへ、自転車はやった分だけ強くなります。世界を目指す集団へ、ぜひきてください!部員一同お待ちしております!」

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鹿屋体育大学自転車競技部
公式ホームページ
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部ログ
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文武の道にいばらあり!① ガリ勉小僧、水も滴るマッスル中学生になる

こんにちは!慶應義塾大学の大前翔です。
この度3回にわたって、文武両道について、語らせていただくことになりました。
拙い文章ですが、どうかお付き合いくださいませ。

16RCS#8(浮城行田ラウンド)クラス2Bで優勝しクラス1に昇格した

私にとって文武両道とは、人生の全てであり、今も意識している座右の銘のようなものです。
そこで、初回の今回は、自己紹介も兼ねて、私の文武両道のコンセプトが確立された、幼少期から少年期までの人生について、早送りで振り返って綴らせていただこうと思います。

1997年、東京で生を受けた私は、4歳当時、大量の計算プリントを毎日せっせと片付ける勉強小僧でした。「くもん、いくもん♪」でおなじみの、公文式の塾に通い、算数と英語を学習していたのです。解き終わったプリントが山になっていくのが嬉しくて、「公文式に熱中」していたのを覚えています。

公文式というのは一風変わった塾で、自分の学年の学習範囲が終われば、すぐに次の学年の勉強を始める、いわゆる「先取り学習」を推進し、より先取りをしている生徒がより優秀、というコンセプトを採用している塾でした。
先取り度合いが3学年を超えると表彰を受けられ、そこで貰えるオブジェが素敵で(今もリビングに飾ってあります)、私の学習意欲をかきたてました。小学校も中学年になる頃には高校数学を学習し、基本的な微積分の計算まで解いていた記憶があります。

素敵なオブジェのコレクション。今から10年以上前のもの。

一方で、私は5歳の頃、小児科喘息の克服のため、水泳を習い始めました。人一倍負けず嫌いだった私は上達し、1年で選手コースに招待され、これ以降9年間にわたり、週6日、8回、一回2時間~2時間半の練習をこなす生活を送ることになります。

努力の甲斐もあり、小学校中学年の頃には、初めてJOCの参加標準記録を突破し、年齢別の全国大会に参加することができるようになりました。

全国大会の舞台を経験してさらに燃え、公文式を続けながらも、日常のほとんどを水泳に捧げて血の滲む努力とともに迎えた小学4年生の終わりの春、私は年齢別カテゴリで快挙を成し遂げました。
JOCジュニアオリンピックカップの3種目でそれぞれ優勝、3位、4位に入り、年齢別優秀選手にも選ばれたのです。10歳のガキンチョだった私にはこの刺激は鮮烈で、暫くの間、私を有頂天にさせました。

50m背泳ぎで優勝しガッツポーズをする

JOCでの活躍の後、私は現在も通う慶應義塾大学の一貫中学校を受験する為、少し日常における水泳の比率を落として、受験勉強を開始したのでした(思い出すと、慶應義塾を志望校としたのも、その頃完成したてだった学内の室内プールで部活ができるという環境に憧れたからでした)。

2年間に渡り、勉強、水泳と2足のわらじで、母が作成してくれた分刻みのスケジュール表に従って多忙を極める生活を送り、無事合格。入学した慶應義塾の中学校で、この上ない幸運に恵まれることになります。

それは、水泳部に入部した同期のうち3人が、JOCに出場できるレベルの泳力を持っていて、リレーでの成績が期待できる、というものでした。このチャンスをものにした私たちは、1年生の頃に全国中学出場、2年でリレー優勝、3年で連覇&2種目リレー制覇という快挙を成し遂げました。私にとってみれば、人生2回目の快挙でした。

最後の全中で快挙を達成し、観客席からの声援に応える

また一方、中学入学後の成績は良好でした。私の学校は中学校にして留年制度があった為、それに怯えて勉強して、最初の定期試験で学年2位の点数をとってしまったのを手始めに、その成績をキープするように、勉強にも力を注いでいました。

ここまでの私にとって、水泳と勉強は人生の全てであり、どちらも欠かすことのできないものでした。また、いままでに語った通り、努力に伴う結果も、表面上はついてきていました。
しかし、実は中学校時代は、私にとっては、あまり華々しくはないものでありました。

さて、中学3年生までの私の人生を、早送りで振り返って参りました。今回はもう長くなってしまいましたので、次回、中学校時代の水泳に対する心情の変化から、お伝えしようと思います。
現在取り組んでいる自転車競技を私が始めるルーツともなる話題ですので、ぜひご一読ください!

ぶらり部室と寮の旅【⑤大阪経済大学編】

全国の学生自転車競技部の皆さん、自転車競技ファンの皆さん、こんにちは!
日本学生自転車競技連盟学生委員長の方山堯です。

全国の学連に登記する自転車競技部の部室や寮を訪ねていくコラム第5弾、今回は大阪経済大学にお邪魔して来ました!!

過去の「ぶらり部室と寮の旅」はこちらから!
ぶらり部室と寮の旅【①早稲田大学編】
ぶらり部室と寮の旅【②龍谷大学編】
ぶらり部室と寮の旅【③京都産業大学編】
ぶらり部室と寮の旅【④同志社大学編】
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立派な校舎の大阪経済大学、正門の前でパシャリ

部室を案内していただいたのはこちらのお三方!
栗田龍之介選手、金井克磨選手、熊谷直己選手です!

金井「ようこそ、大阪経済大学へ!今日は僕たち三人が皆さんをご案内致します!」

阪急・地下鉄上新庄駅から徒歩約15分、大阪経済大学は閑静な住宅地の中にあります。最近新設された校舎を抜け、私たちは静かな部室棟の中に位置する部室にたどり着きました。

部室の大きな扉を開けると、そこには沢山の部員の皆さんが私たちを暖かく迎えて下さいました。

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部室取材があると聞いて大慌てで片付けをする部員の皆さん

部室兼倉庫と言ったら正しいかもしれませんが、多くの部員を抱える大阪経済大学にはなくてはならない場所です。それだけ、自転車以外にも多くの物が置かれているようですね。
また高さを生かして自転車を上に吊り下げられるようにしてあるみたいです。スペースの有効活用が垣間見られます。

熊谷「奥の方にテレビをはじめ冷蔵庫や電子レンジ、たくさんのソファーが置かれています。部員にとってはなくてはならない最高の快適空間ですね。」

そして忘れてはならない、大学構内には那須ブラーゼンに加入された大阪経済大学OBの下島将輝選手のポスターが。
部員の皆さんにとってはそれは偉大なOB。口を揃えて目標にしていると答えてくれました。

2014 湾岸クリテリウムでの下島将輝選手(現那須ブラーゼン所属)

~~〜

ここからは、先ほどのお三方にインタビューに答えていただきました。

Q.学校について教えてください。

栗田「とにかく大学が本当に綺麗だと思います。他の大学と比べても、近代的な校舎で清潔感のあるデザインに造り上げられているのが特徴です。他校の友人にも綺麗なキャンパスで羨ましいと言われたんですよ。」

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大学の校舎とは思えない清潔さ

金井「大阪経済大学のマスコットキャラクターである、はてにゃん!大経大の生徒にはかなり親しまれている存在になっています。可愛いですよね!」

熊谷「「つながる力、大阪経済大学」というスローガンがあるように、団結力を重視している校風です。その校風は部内にも非常に関係があり、部員みんなでミーティングをして物事を決め、一緒に目標に向かっていっています。」

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大学のマスコットキャラクターにもなっている「はてにゃん」。ブログも開設しているそうなので、興味のある方は是非。

Q.初めて部室に来た時の印象を教えてください。

金井「僕はオープンキャンパスの時に初めてこの部室を訪ねたのですが、元々自転車競技をやっていたためか豊富な機材と十分に整備ができるスペース、そして部員たちが集って和気藹々と話し合ったりすることができる場があることにとても惹かれました。あと、クーラーがあるので夏の暑い時期の練習後には涼むこともできます。」

熊谷「本当に思い描いていた部室だった印象があります。漫画に出て来そうな…。」

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最高のサポート陣が大阪経済大学チームを支える

Q.チームについて教えてください。

熊谷「大阪経済大学の自転車部は二つの班によって構成されます。そのうち一つはレース班であることは容易に想像していただけるかと思います。
では、もう一つは何かと言うと……なんとサイクルサッカー班が存在するのです!」

栗田「サイクルサッカーって何?という人のために説明すると、サッカーと似たルールで行われる屋内自転車競技になります。2014年度には全日本学生室内自転車競技選手権大会で優勝していて、なんと日本代表も輩出しているんですよ!僕たちレース班も負けていられませんが、是非サイクルサッカーにも注目していただきたいです。」

金井「レース班は現在全部で14人。そして、それをサポートするのが2名のメカニックとマネージャーの方々です。2名のメカニックの方は本当に自転車に詳しく、独学と自転車屋さんでアルバイトをすることで整備の知識を身につけたそうです。
またマネージャーの人材も豊富なので、困ったことがあったら日々助けてもらっています。」

熊谷「バンク練習は関西サイクルスポーツセンターで行なっています。トラック競技はまだまだ力不足ではありますが、もっと練習をして他校に追いつきたいと思っています。」

 

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レース班も負けれられない!

Q.全国の学連選手に一言どうぞ!

栗田「今はなかなか結果を出せていませんが、これから羽ばたいていきますので、全国の皆様応援よろしくお願いいたします!」

今回の取材は以上になります。
大阪経済大学の皆さん、ご協力ありがとうございました!

~編集後記~
大阪経済大学、その裾野の広さに筆者は大変驚かされた。レース班の強さもさることながら、サイクルサッカー班があることや選手のサポート体制が充実していることなど、他の大学では真似できないような部としての成熟度を垣間見ることができた。
部としての組織がしっかりし、かつ目標とすべき大きな存在であるOBがいることは彼らの今後の自転車競技生活に大きな支えとなることだろう。今後も大阪経済大学から強い選手が育っていくのを楽しみに待つばかりである。(慶應義塾大学 方山 堯)

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大学のシンボルマーク・ユニフォームに採用されているマゼンタは、情熱と若いエネルギーの色を表している
大阪経済大学体育会自転車部
公式ホームページ
http://ouebicycle.web.fc2.com/index.html
練習ブログ
http://ouecycleracingteam.blogspot.jp
公式Twitter
https://twitter.com/oue_bicycle

【雨垂れ石を穿つ①順天堂大・原裕紀選手】~東大マネージャーが見た初心者からの挑戦・後編~

こんにちは。東京大学自転車部競技班でマネージャーを務めております、3年の植田瑞貴です。

東大自転車部の練習日記を読んだ学生委員長の方山さんからのご指名で始まったこの企画。テーマは「大学から自転車競技を始めることについて」。
高校以前に競技に触れたことがなかった選手たちは、何を感じ、どうやって上を目指しているのか、その心境に迫ります。

東京大学自転車部競技班の練習日記はこちらから!
http://d.hatena.ne.jp/ut-br/

初となる今回、インタビューに応じてくれたのは、順天堂大学・主将の3年生、原 裕紀(はら ゆうき)選手!

1年生の7月、大町美麻ロードレースでレース初出場。同年度の1月に全日本学生RCS第13戦・埼玉クリテリウム行田第3ラウンドでクラス2へ、そして3年生の4月、第18回全日本学生選手権クリテリウム大会にてクラス1に昇格しました。

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2016年度個人ロードレース大会では16位完走
原 裕紀(はら ゆうき):順天堂大学

競技開始:大学1年4月
大学以前の運動歴:サッカー(小学校1年~高校3年)+ 柔道(初段)
得意種目:ロードレース
主な戦績:2016年白馬クリテリウム1位 2016年度個人ロードレース大会16位 2016年度チームTT5位
愛称:「原ちゃん」「原坊(はらぼー)」
これまでの連載はこちらから!
【雨垂れ石を穿つ①順天堂大・原裕紀選手】-前編-

それでは原選手のインタビューの後編をお届けいたします。ぜひご覧ください!

***

―うーん、せっかくの機会だし選手っぽい質問しようかな。得意な展開とかコースとかはある?

原●結構自分にあった戦い方とかは考えてるんだけど、ゴリゴリのスプリントが得意でもないし、TTスペシャリストでもなくて、最初にスピードが速い巡行中に抜け出すのはきつくて…うーん(笑)
だから、じりじり人数が減っていって、最後まで粘って勝負みたいなほうが得意かな。長距離ロードレースで、中途半端にインターバルがかかるみたいな。

(クラス1に昇格したときの)全日本クリテも横風が強すぎて15人くらいしか完走しなかったし、サバイバルでみんなが我慢してる中自分は最後まで絶対残るぞ、っていう展開が好き。
あ、だからCSC好き (笑) 短い登りで、ちょっと下って、を繰り返すコースだからねー。

―なるほど、我慢が好きなのか(笑) 走っている最中はなにを考えてるの?

原●サッカーやってた時の精神がもとになってるんだよね。一人じゃ結果を出せないチームスポーツの経験は大きい。自分が結果を出したいと思って、というよりは、同じチームの選手がいるから、チームメイトのために、って思っているかもしれない。
自分が勝つことだけを考えるっていう精神が足りないのは弱みかもしれないけど、例えばチームメイトのために役割を背負って前の逃げを追っている、みたいな場面では、俺は強いと思う。

…2016年のチームTTで、前主将の重田さんがTTメンバーに対して、「この4人に託した」って送り出してくれたんだよね。重田さんが待っているから、頑張らなきゃって思った。その経験も大きいなー。
インカレでも、一緒に頑張ってきた先輩たちのために集団を牽いた。個人競技でも、仲間の存在が心の支えなんだよね。それがロードレースかなって、3年競技やって思い始めた。

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心の支えはチームにあり(16年度アジア大学選手権にて)

―じゃあ自分自身の目標は?

原●目標は、やっぱりインカレロード優勝だな。始めたときから、ずっと。個人ロードでも結果を残したいし、四年生だから結果を残すことは使命みたいな感じだけどね。

―うんうん、やっぱりインカレは大きいよね。引退はインカレ?

原●うーん、RCSシリーズ戦も狙いたいって思ってるから、まだ決まってない(笑) 自転車以外のことを考えないわけにもいかないけど、来年は結果を残したい。海外でも走ってみたいし。

―そっか、そしたらまだまだ原ちゃんが走ってるのが見られるね!
一度聞いてみたいと思ってたんだけど、主将になって数か月経って、競技に向かう姿勢とか選手として担うものは変わってきたって感じてますか?

原●部活をまとめなきゃいけないっていうのもあるし、法政大・前主将の青野さんみたいに、主将として結果を出さなきゃいけないなと思ってて、主将任命されてすぐはプレッシャーだったねー。
朝起きて、考え込んじゃったりとかした。だけど最近はプレッシャーはあるけど割り切れてきて、順天堂大・前主将の重田さんの話を聞いたりしながら、一歩踏み出したかなと思ってる。

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16年度個人トラック大会で原選手とともにマディソンを走る重田選手(右)。前主将として目標となる存在だ

―いつか、私に「ちゃんと練習してるよ!」って言い切ったことあったじゃん?

原●あったなー、ナルシストだったわ(笑)

―えー?(笑) それってすごいことだと思うんだ、自分がやってることに対して胸を張れるというか。だから原ちゃんは自分の姿で引っ張っていく主将になるのかなあって思ってるよ。

原●主将として俺ができることっていうとなー…。口はあんまり上手くなくて、言いすぎてうまく伝えられなくて上から目線みたいになっちゃうから(笑)、自分の中で淡々と練習していって、その姿で部を引っ張っていく、みたいなのが自分の理想の主将像かな。
本当に勝ちたいなら自分で考えて行動しないと強くはなれないから、後輩とかにアドバイスはするけど、まずは自分が練習して結果を出して引っ張っていく、みたいなところを目指してる。

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自転車競技を初めて1年弱、14年度RCS#13行田第三ラウンドでクラス2に昇格

―それでは最後に、大学から競技を始めようと考えている人に向けて、目標の立て方とか頑張り方みたいなことについて、メッセージをもらってもいいですか?

原●自転車を始めるとき、親を説得するのが大変だったんだ。でも、東京オリンピックが決まって、衝撃で、出たい!って思って…。『弱虫ペダル』で自転車競技を知って、これをやって新城選手みたいに強くなったらオリンピックに出たいんだ、って説得して、納得してもらったんだよね。

宣言しちゃったからには後に退けないみたいな支えはあったんだけど、それでも目標が遠く感じちゃうときもあったかな。そういうときは距離目標を決めて、ノートに今日何キロ乗った、っていう記録を残して、目標に対して残り何キロだ、みたいな感じでやってた。ちょっとずつ近づいている感じがあって良かったよ。

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いつも見ていてくれる仲間がいるから、いつも頑張ることができる

最初は気持ちがきつかったりしたら休むことも大事で、無理して踏ん張って心が折れるよりは、ちょっとずつ積み上げていくことが大事だと思うんだ。今日10やったけどそのあと0になっちゃうよりは、十日間1ずつ続けていくほうがいいから。
さぼっちゃったこともあったけど、自転車は目標を決めやすいタイムとかワットみたいな指標があって、それに向かって練習できるから、自分に合った目標を見つけて続けていくのがいいんじゃないかな。

あと、経験を積むっていうか、距離をいっぱい走ることは大事だと思う。落車することもあるかもしれないけど、それを乗り越えなきゃいけないし。下りとかは危ないから最初は無理しないでちょっとずつ、そのうえで経験を積んでいけば、楽しさも増えていくんじゃないかな。

―おお…。ありがとう、いいインタビューになりました…!
また試合会場ではよろしくね!

原●うん、よろしくー!

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学連80周年記念祝賀会にて。秋山選手(東京大学・中央)と筆者(右)。

***

いつも試合会場で、いろんな選手と明るく話している原選手。

チームの選手のために走る、と言ったときの言葉にこめられた思いが印象的で、だからこそ彼は主将なのだろうと思わされました。今後の活躍にも期待です。

次回は慶應義塾大の福田選手。今年度、初参加のインカレで優勝という驚くべき戦績を残した彼女も、競技を始めたのは今年度に入ってからでした。

その強さの秘密に迫りたいと思います。お楽しみに!

ぶらり部室と寮の旅【④同志社大学編】

全国の学生自転車競技部の皆さん、自転車競技ファンの皆さん、こんにちは。
日本学生自転車競技連盟学生委員長の方山堯です。

この企画は、全国の学連に登記する自転車競技部の部室や寮を訪ねていき、普段レース会場では見られない選手たちの生活をお伝えしていくコラムです。
そういえば、最近「いつも見てます!更新楽しみにしています!」といった励ましの声を頂くようになりました…。少しずつ学生委員ブログの存在を知ってもらえるようになって本当に嬉しいです!

過去の「ぶらり部室と寮の旅」はこちらから!
ぶらり部室と寮の旅【①早稲田大学編】
ぶらり部室と寮の旅【②龍谷大学編】
ぶらり部室と寮の旅【③京都産業大学編】

さて、前回の京都産業大学に続きご紹介させていただくのはこちら!同志社大学です!

言わずと知れた関関同立に数えられる関西屈指の名門校。
2016年度インカレロードで中西健児選手が4位完走を果たしたり、16年度RCS第6戦けいはんなラウンドで宇佐美元基選手がクラス1に昇格したりするなど、学業だけでなく自転車競技でも好成績を残す秘訣とは何なのか。その秘密に迫ります。

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4回生・中西健児選手は16年度個人ロード選手権で5位、インカレで4位と安定して好成績を残した

お邪魔させていただいたのは自転車競技部の部室がある京田辺キャンパス。
学術研究都市の一環として開発されたキャンパスです。なだらかな丘陵地に広がる広大なキャンパスには、レンガ調で統一された学舎と自然が融合し、活気と自由な気風に満ちています。キャンパスの中にチャペルがあることも、国際色豊かな同志社大学らしさなのではないでしょうか。

そんな京田辺キャンパスにはスポーツに真剣に取り組む体育会所属生徒にとっては嬉しいものが揃っています。
なんと健康のバランスが考えられているアスリート食堂、無料のトレーニングルーム、その他様々なスポーツ施設が完備されているのです!
そして、キャンパスが山の上にあることを考えると…自転車競技の選手にとっては最高の練習環境が整っていると思います!

さて。今回、部室を案内していただいたのはこちら。
2回生・文化情報学部の中野雄太選手です!

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初めての取材に緊張の面持ちの中野選手

中野「ようこそ同志社大学へ!今回は、私が同志社大学をご案内致します。わざわざ東京から来ていただき、本当にありがとうございます!」

さてさて、中野選手に案内され自転車競技部の部室に入ると…

自転車を多数保管できるだけでなく、ローラーや扇風機を置けるだけの広いスペースが確保されていました!もちろん、機材も非常に充実しているみたいです。

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ローラーあり、扇風機ありの充実した環境

この部室なら全部で11名いる選手も時間帯を気にすることなくメニューができるとのこと。ローラー練習を室内で、しかも複数人でできるのは恵まれた環境だと思います。

Q. 結構部室が綺麗に整理整頓されていますよね。掃除当番などがあるんですか?

中野「そうなんですけど…良く僕が部室の掃除をしています。部員の皆さん、ちゃんと感謝してくださいよ!」
部屋の乱れは、心の乱れ。中野選手が心をこめて部室を守っているのが強く感じられました。

ちなみに、部室には達筆で熱い想いを綴った一語達が掲げられていました。

少しご紹介したいと思います。

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疾きこと風の如く。自転車でもそうありたいものです
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「必勝」「勝負」今年の同志社大学は、まさにこんな一年でした

~~~

ここからは、中野選手にインタビューに答えていただきました。

Q. 学校について教えてください。

中野「学校では多様性を感じることが多いです。田舎で都会(?)で留学生が多いのが魅力だと思います。一歩キャンパスに入ると、一気に自分の世界が広がる気がしますね!」

そして、校風は「何とかなる」という自由な雰囲気なのだとか。同志社大学の創立者が大切にしていた、一人ひとりの個性や人格が十分に尊重されていることは、中野選手もそれを強く感じているようです。

中野「そして、忘れてはいけないのはこの景観の良さです。レンガ造りで統一された建物、チャペル、そして自然はどこの大学にも負けない私たちの自慢ですね。」

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川元優佑選手(左から三人目)は15年度学連団抜き選抜入り

Q.チームについて教えてください。

中野「部員はみんな本当に仲が良いです!!常にコミュニケーションをとる場があり、練習も全員で行うので必然的に仲は良くなるんです。
そして、活動は選手の自主性に重きが置かれています。練習メニューは皆で相談した上で内容を決め、またそれについて監督に意見を求めればしっかりアドバイスが頂けるので、大学から自転車を始めた僕のような初心者には大変ありがたい環境だと思います。」

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16年RCS第6戦けいはんなラウンドでは中西健児選手(中央)・宇佐美元基選手(左)がクラス1+2でワンツーフィニッシュ。地元でその強さを見せつけた

特にバンク練習、合宿時には各々がやりたいメニューを提案しあうのだとか。仲が良く、そして全員が強くなろうとするからこそだと思います。

中野「合宿は主に年に3回あって、5月のGW合宿、8月のインカレ前の合宿、そしてシーズン前の春休み合宿があります。合宿の中で衣食住を共にすることで、チームが団結していくのだと思います。」

Q.チーム自慢を教えてください。

中野「現役のみならず、OBの方とのつながりが他校に比べて強いのも特徴だと思いますよ!OBの方同士の横のつながりはもちろんのこと、選手たちとの距離も近く、遠征時の支援などOBの方が積極的に助けて下さいます。
是非結果でそのご恩をお返ししたいと思います!」

卒業しても部と関わっていくことができる、素晴らしいチームですね!

最後に、先程の写真でお気づきの方もいるかもしれませんが、同志社大学では自転車レースの他にもサイクリングやトライアスロン競技にも参加しているそうです。

Q.全国の学連選手・高校生にひとことお願いします。

学連選手へ
中野「今は全国で結果が出ている選手は数名しかいないのが現状ですが、これからしっかり練習して、全国の他の大学が意識するような強いチームになりますので応援よろしくお願いします!」

同志社大学に興味のある高校生へ
中野「同志社大学は選手のほとんどが大学から競技を始めています。その中で結果を出していこうというチームなので、どんな人でも活動していける部だと思います。皆さんとお会いできるのを楽しみにしています!」

(おまけ)
取材を終えた私たちに、中野選手にこんなことを言われました。

中野「部室だったら、ぜひ今出川キャンパスにも足を運んでみて下さい!また一風違った雰囲気を味わって頂けると思います!」

「そこまで言うなら」と私たちは同志社大学今出川キャンパスへ。
中野選手の言う通り、平地に位置する今出川キャンパスは、京田辺キャンパスとは一味違った気風を感じました。

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赤レンガで統一された学舎(左)と今出川キャンパス部室


今回の取材は以上になります。
同志社大学のみなさん、ありがとうございました! 

~編集後記~

校風による影響か、様々な個性が結集している同志社大学。中野選手だけでなく、他の部員の皆さんにも会うことが出来たが皆個々人の個性を持っており、自覚を持って自転車競技に向き合っていることはこの大学の魅力として数えられる。
学生を心から包み込むかのような学び舎が同志社らしい「伝統」を作り上げ、その上個性を重視し部員が一丸となって一つの「同じ志(同志)」に向かうその姿は、まさにこれからの同志社大学チームがその強さを全国に見せつけていくであろうと感じさせられた。これからの同志社大学チームの活躍が非常に楽しみである。(慶應義塾大学・方山堯)

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サポート陣は毎年インカレの時に全員分のお守りを作るのだとか。
同志社大学体育会自転車競技部
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【雨垂れ石を穿つ①順天堂大・原裕紀選手】~東大マネージャーが見た初心者からの挑戦・前編~

初めまして!
東京大学自転車部競技班でマネージャーを務めております、3年の植田瑞貴と申します。昨年から学生連盟にてたびたびお仕事を頂いているので、お会いしたことのある方も多いかと思います。

このたび、私が普段書いている東大自転車部の練習日記を読んだ学生委員長の方山さんからご指名をいただき、学生委員ブログに寄稿させていただく運びとなりました。

東京大学自転車部競技班の練習日記はこちらから!
http://d.hatena.ne.jp/ut-br/

私の所属する東大が初心者集団であることから、テーマは「大学から自転車競技を始めることについて」。
高校以前に競技に触れたことがなかった選手たちは、何を感じ、どうやって上を目指しているのか。いろいろな大学の選手と私との対談形式でお届けします!

***

初となる今回、インタビューに応じてくれたのは、順天堂大学・主将の3年生、原 裕紀(はら ゆうき)選手

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16年度RCS#2 修善寺オープンロードの原選手

 

原 裕紀(はら ゆうき)

競技開始:大学1年4月
大学以前の運動歴:サッカー(小学校1年~高校3年)+柔道(初段)
得意種目:ロードレース
主な戦績:2016年度白馬クリテリウム1位 2016年度個人ロードレース大会16位 2016年度チームTT5位
愛称:「原ちゃん」「原坊(はらぼー)」

1年生の7月、大町美麻ロードレースでレース初出場。同年度の1月に全日本学生RCS第13戦・埼玉クリテリウム行田第3ラウンドでクラス2へ、そして3年生の4月、第18回全日本学生選手権クリテリウム大会にてクラス1に昇格しました。
実は彼は大学から競技を始めた選手の一人。脅威の成長と言っても過言ではなく、一度話を聞いてみたいと思っていた方も多いのではないでしょうか。

個人的に1年のころから仲良くしてもらっていることもあって、自然体で今考えていることを話してくれました。

それでは前置きはこれくらいにして、対談を始めたいと思います。ぜひご覧ください!

 

***

―今回は引き受けてくれてありがとう~。じゃあさっそく、インタビューを(笑)

原●ほかの選手もインタビューするんでしょ?俺、必要? (笑)

―えっ、だってほかの人にも「大学から始めた強い選手って誰がいるかな」って聞いてみたら原ちゃんの名前が挙がったもん。知られてるってことですよ。

原●なんか嬉しいな(笑)

―最近自転車競技のすそ野が広がって、そういう選手って増えてきたんだとは思うんだけど、もう一歩のところで届かないっていう人もいっぱいいると思うんだよね。だからそういう話を聞けたらいいなと思ってます。
ちなみに、なんで大学から始めたのが自転車だったの?

原●自転車競技自体は『弱虫ペダル』で知ったんだよね。サッカーをやってたころから自分は瞬発力で勝負するというよりは長距離向きなのかなと思ってたから、超単純に、自転車なら頑張れば活躍できるんじゃないかなって思って。
あとこれは入ってから思うことだけど、高いレベルの人とも近いっていうのがすごいよね。だって世界で活躍しようとしている人が同じ会場にいるとかも普通にあるもん。サッカーでは絶対そんなことないからねー(笑)

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16年度個人トラック大会では重田選手とともにマディソンに出場

―はらちゃんは基本的にロードをやってるけど、トラックっていう選択肢もあった?

原●弱虫ペダルがきっかけだったから、もう始めるときにはロードやろう、と思ってたなー。もともとケイリンは知ってたけど、部活で扱ってるかわからなかったし。
うちの二年生には初心者からトラック始めた人もいるし、短距離の方が早く結果が出るよってコーチには言われたけどね(笑)

―そういえば順天堂大学は推薦で入ってくる選手が多い大学だよね。その環境についてはどうだった?プレッシャーじゃない?

原●何にも知らないから逆に、先輩にも同期にもいろいろ教えてもらえて楽しいなって思ってた。力の差はあったけど、初心者だから当然って開き直ってたくらいだもん(笑)
監督やコーチからも3年生以降で力を出せるように、って言ってもらってたし。強いて言えば大学の部活がこんなに練習するものとは思ってなかったから、びっくりしたかな(笑)

―なるほど… (笑) 初心者って、当たり前だけど最初、ある程度のレベルに到達するまでがかなり大変だよね。特に周りのレベルが高いと追いつくまでに時間がかかると思うんだけど、その間ってどうしてたの?

原●もともと長距離志望だったんだけど、最初に落車してからは短距離班に混ざってやってたんだよね。長距離班だと練習してる間に置いて行かれちゃってどんどん距離が開いて困る、とかあるけど、短距離班なら練習場所自体がそんなに遠くには移動しないから。最初はギアとかかけずに回転練習とかもしてたなー。
力が付いてきたら中距離班に行って、長距離班に行って、みたいな段階を踏めたのは順大だからだし、ありがたかった。

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東京大学との合同合宿。浦選手(東京大学OB)の存在は大きいようだ

―まわりがみんな強いだけに、大変そうではあるけど…順大はそういう工夫してたんだねえ。

原●力の差はあったけど、筋力とか、ポテンシャルみたいなのは俺の方がある!って思い込んでた(笑) トレーニングしていけば追いつけるなって思ってたから続けられたのかもしれない。
あ、東大の浦さんの存在も大きかったなー。あの人は運動経験があるわけじゃないのに、自分が入った年に見たインカレで4位を取ってて、すげえ!って思って。その次の2015年の個人ロードレース大会では優勝してたし…同じ大学から始めた選手が優勝してるんだ、だったら自分だっていけるだろう、みたいな。

―とにかく迷いはなかった?

原●自分がどこまで伸びるかわかんないから不安っていうのはあったけどね。早稲田の4年の金子さんが初心者で始めた人なんだけど、仲良くしてもらって目標にしたりとかしてたなー。
心の励みになってた。スタートは一緒、って勝手に思い込んで、モチベーションの維持に…。今でも仲良くて、今度会う約束してるよ(笑)

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早稲田・金子選手(右)は同じ初心者出身として仲良し。左は重田選手(順天堂)

 

―仲いいんだね(笑) それでも続けていくのって大変だよね…。何を心の支えにしてた?

原●自転車は成長を実感できるスポーツだと思うんだよね。ワット数だったり、スプリントで差せるようになったことだったり。例えば俺が一番うれしいのは、前に走ったコースが楽になってることかな。特に美麻は最初に走ったコースだったから、一年後のインカレで走ったら前に比べて楽になったなー、とか…。それが続けてこられた理由の一つかもしれない。

***

まずは自分が自転車競技を始めた時のことを振り返ってくれた原選手。前向きな姿勢がとても印象に残ります。

後編では、今見つめている目標について話してもらいました。どうぞ次回更新にご期待ください!

ぶらり部室と寮の旅【③京都産業大学編】

全国の自転車競技部、自転車競技のファンの皆様、こんにちは!
同志社大学体育会自転車競技部の高村です。

恒例の部室訪問企画、今回は京都産業大学体育会自転車競技部の取材をさせていただきました。

過去の「ぶらり部室と寮の旅」はこちらから!
ぶらり部室と寮の旅【①早稲田大学編】
ぶらり部室と寮の旅【②龍谷大学編】

幅広く活躍されている京都産業大学の皆さんの生活をお伝えいたします(^.^)

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西日本のみならず、全国でもその強さを見せる京都産業大学

~~~~~

京都産業大学前でバスを降りると、出迎えてくれたのは………

16年度全日本学生トラック・マディソン優勝の樋口峻明選手(経営3年)です!

樋口「今日はよろしくお願いします!」

GARNEAUを片手に部室へと案内していただいている途中に、

これまでの大学にはない驚愕のものが………

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これさえあれば、長い階段があっても問題ない

なんと、“エスカレーター”が!!!
樋口選手は慣れた様子で自転車とエスカレーターに。

方山「エスカレーターあるなんて、すごいね!?」

樋口「山の中に立っていますから~」

とさわやかな笑顔で答える樋口選手。

部室までの間に、京都産業大学の広大さと建物のデザインの新しさに圧倒される取材陣。

あれこれと建物の質問をしながら歩くと、あっという間に部室に到着しました。。

~~~~~

今回は案内をしてくださった樋口選手、主将の中井唯晶選手、松下綾馬選手、山田康太選手、曽我部厚誠選手、藤田俊輔選手にインタビューをしました。

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山田選手、練習中にごめんなさい…。後ろの方にはひょこっと顔をのぞかせる松下選手たちが…


Q.部室のアピールポイントを教えてください。

樋口「人数に見合った広さで、自転車を上に吊り下げることができるため、広々と使えています。ビーチチェアもありますし。寝ることもできます(笑)」

中井「真下に食堂がありカツや丼などのガッツリ系なので体育会系の我が部に嬉しいですね!」

松下「エアコン施設やPCも備え付けられているので快適です。空き時間があると自然にみんな部室に集まっています。」

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取材中、絶えず部員が出入りしながら会話を弾ませていました。一番雑談と人の出入りがあった取材です(^^)


Q.初めて部室に来た時の感想をお願いします!

樋口「入るのは緊張しました。入ったら床が硬くて感動していましたね!」

方山「えっ?床の硬さ??」

樋口「はい…横浜高校時代に部室が野球部のブルペンを改良したものだったため、下が土で……w」

山田「部員みんな仲良くて、部室に行けば誰かいるという環境にびっくりしました。」

曽我部「お昼ごはんも、下の食堂で買って部室まで持って来て食べるくらい仲良しですよ~」

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外からはわからない、内の仲の良さ。京産は本当に部員みんな仲良しの様です

 

Q.学校自慢をしてください。

樋口「全学部が一つのキャンパスに集まっていることです。みんなすぐに集まれるし、練習もしやすいので便利です。
あとは立地的に、山の中にあるので練習がしやすいことも自慢ですね。」

Q.チーム自慢をしてください。

中井「監督とコーチが元プロなので、経験や知識が豊富で的確なアドバイスをいただけます!」

山田「和気あいあいとしています。」

中井「チームが目標に一致団結して向かっています!」

樋口「ハイエースがあり、機材もスポンサー様から提供されています!」

チーム自慢の項目はたくさんの意見があり、京産のチーム愛を感じました(*^^*)
海外で活躍できることや、海外でのレース経験なども伺い、非常に多面的なチームの一面を知ることができました。

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秋田監督と安田選手(左)、山岸監督と選手達&マネージャー(右)

監督・コーチへの信頼は厚く、マネージャーやメカニックのやりがいなど、チームとしてのまとまりを感じさせられました!

Q.学連、全国の高校生へのメッセージをどうぞ!

学連へ

樋口「いつも運営ありがとうございます!出場の際には皆全力の走りを見せることができるように頑張りますのでよろしくお願いします!」

高校生へ

樋口「京都産業大学自転車競技部は選手・マネージャーともに仲が良いチームです。皆個性豊かで楽しい人ばかりなので、見かけた際にはぜひ声をかけてみてください。
京都産業大学を目標としてくれている選手の皆さん、高校の時にあまり強くない選手でも京産大に入学後に成績が伸びる人が多いことから分かるように、選手育成の環境は非常に整っています。やる気のある選手、待っています!」

~京都産業大学の皆さん、ご協力ありがとうございました!~

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京都産業大学メンバーの集合写真。ご協力ありがとうございました!

 

【編集後記】
学連のレースだけではなく、海外のレースでも活躍する選手が多い京都産業大学チーム。外からでは分からないチーム愛を感じる取材でした。
取材中も、お構いなしで部員が出入りしたり会話を挟んだりと本当に自由な雰囲気で、和気あいあいとしていました。また、選手としてのお話だけではなく、監督やコーチはもちろんマネージャーさんやメカニックの方についても聞くことができ、京産のチーム力を見せられた気がしました。
終始協力的で、お写真も選りすぐりのものを多数提供してくださいました!来年の活躍を楽しみにしております!
(同志社大学 高村れん)

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胸に描かれている学章の星座はサギタリウス(射手座)。新しい時代に、世界へ雄飛する若者への希望を表している
京都産業大学体育会自転車競技部
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手には汗、心に故郷〜曽我圭佑が語る熊本〜③

皆さんこんにちは、学生委員長の方山です。
前々回、前回に引き続き今回も曽我選手の連載記事3回目、最終回をお届けしたいと思います。

これまでの曽我選手の記事はこちらから!
手には汗、心に故郷〜曽我圭佑が語る熊本〜①
手には汗、心に故郷〜曽我圭佑が語る熊本〜②

(以下、曽我選手記事)

こんにちは!明治大学の曽我圭佑です。
前回に引き続き、次は2年生をご紹介したいと思います。

法政大学 木原孝明
彼は中学校の頃サッカーをしていて他県からも誘いを受けるほどの選手だったのですが高校から自転車競技に転向してきました。
高校時代は同期がいなく1人で多くの雑用をこなしてきていたので、大学ではそれが少しは活かされたようです(笑)
トラックでの中長距離を主に走っていたのですが、今はロード班として頑張っているようです。今はまだ成績は残せていませんが彼の運動センスで上にのし上がってくることでしょう。

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木原選手は2015年度RCS湾岸クリテリウムラウンドでクラス2に昇格


鹿屋体育大学 西島叶子

彼女は二年生ではありますが年齢が同じの同級生です。
根っからの努力家で、鹿屋体育大学に入学した後は元競輪選手だった父の影響で自転車競技を始めたのですが、持ち前のガッツでめきめきと成長していき、競技一年目から全国優勝を果たしています。
中学校から同じなので私個人としてもすごく応援しています。これからの成長がまだまだ期待できる選手です。

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西島選手(左)と曽我選手。西島選手は熊本チームきっての努力家だ。

以上が熊本県での学連登録の選手たちです。今回紹介されていない他の熊本登録選手も一人ひとり個性が強く、選手としても魅力あるものが多くあります。

今回の熊本地震の発生により、私達の故郷熊本は本当に大変な被害にありました。それでも後ろを向かず前だけを向き、がむしゃらにペダルをこぎ続けています。
被災した熊本のため、被災した人々に勇気と元気を与えるために。その思いがあるからこそ前を向いていけているのです。
これからの熊本勢の選手たちは私が言うのもなんですが、きっと選手として活躍してくれると思っています。

明治大学 曽我圭佑

(曽我選手記事は原文ママ、文頭のみ一部編集)

〜〜〜〜〜

曽我選手、三回に渡って連載記事を書いて頂き、本当にありがとうございました。また、熊本の早期復興を願うとともに、熊本県所属の学連選手の皆さんにはこれまで以上に力強くペダルを漕いでいってほしいと思います。
これからもこの学生委員ブログで、選手の戦績だけでなく”人”を伝えていきたいと思っていますので、是非ご期待ください!