2024インカレロード レースレポート 宇田川 塁 選手(法政大学)

2024年9月16日、群馬サイクルスポーツセンターにて開催された男子インカレロード。
第6位でレースを終えた宇田川塁選手(法政大学)レースレポートを紹介します。


■宇田川塁選手(法政大学)レースレポート

最後の学生レース、レースレポ。
当初9月1日に予定されていた美麻での開催が台風で延期となり9月16日に群馬CSCで開催となった。
美麻よりも圧倒的スプリンター向きコースで、自分にも分があると思った。しかし、群サイの集団スプリントはリスクがあり勝率がグッとさがるので、少人数に絞ってのスプリントで優勝を目標にいざレースへ。
天候は雨、気温はスタート前は少し寒かったが走れば問題ない程度。しかし、森林に囲まれている木陰の群サイと強い雨で視界は最悪。これは逃げが確実に有利だと確信した。

レース中は断続的に雨が降り続けた

1周目に日大の森本選手がスルッと飛び出す展開へ。1人だったため集団は容認。しかし、ここから日大の厳しい集団コントロールとチェックに苦しむことに。
その後、集団は一切ペースが上がることなく周回をこなしていく、逃げとのタイムギャップもみるみる開いていく。これはまずいと集団前方へいきペースアップを測るが日大のコントロールによってなかなか活性化できない。

9周目の心臓破りで早稲田の山田選手のアタックに反応した自分と日大の鎌田選手で追走を図るが、ホームストレート終わりの下りで集団にキャッチされる。

9周目、3人で追走を図る

この時点で、自分としてはかなり絶望を感じていた。集団は日大のコントロールによって活性化できなければ、アタックをうっても日大にチェックされる。完全に日大に支配されていた。その後も、逃げに詰めていくことはできずにタイムギャップは最大5分に。一度後ろへ下がっていき、チームメイトに調子を聞き、戦略を立て直す。自分は集団スプリントを覚悟し、脚を温存することに決めた。

しかし、17周回目のバックストレートで監督から「早稲田が乗った逃げが追走ができている!」と聞く。集団の後方にいて見逃してしまっていた。

これはまずいと思い、集団前方へ行き、再び集団の活性化を図る。明治の林原選手も来てくれたが他の選手は誰もローテに加わってくれずに2人で回す。心臓破りで少し踏んだタイミングで集団と離れた。1人でブリッジをかけるかこの一瞬で判断した。残り周回と現状、今後の展開、全てを一瞬で判断して1人でブリッジすることを決めた。心臓破りを登り、バックストレートへ。

1人ブリッジをかける

追走グループを視界に捉える。全開で追う。ホームストレートの最後の登りでキャッチ。ここから、一気に集団とのタイムギャップは1分30以上へ。逃げとも1分近くに縮めて、やっとバックストレート走行時にホームストレートに見える位置まできた。

しかし、この追走にも日大は2人乗せており、上手くローテが回らなくなっていく。残り4周回の途中で集団が追ってきていると情報を受ける。そして残り3周回目で集団に吸収される。その後、逃げていた森本選手もキャッチ。残り2周回地点で集団は一つ。避けたかった、集団スプリントを覚悟した。脚は全くと言っていいほど消耗しておらず、あとは位置取りで決まると思った。

残り1周回のジャンと同時に空いていた左側のスペースから一気に集団前方へ。そこから、前方をキープし続けて心臓破りへ。集団からポロポロ溢れていく選手も出てきた。
バックストレートは、7番手くらいで抜けていく。スプリントでマークしていたのは日大の岡本選手。日大は枚数も残していたので、危険だと判断した。岡本選手の番手に付きたかったが、位置取り争いはカオスで左側に追いやられてしまう。ホームストレートへ向かう。自分は1番左側。群サイはゴールに向かって右に曲がっていくので、位置取りとしては最悪だった。しかし、もういくしかないので左側から一気にかけていく。右側では物凄い音がした。
ゴール線がみえた。視界には5人くらいみえた。そして順天の渡邉選手が両手を広げていた。負けた。悔しかった。今までの自転車競技人生で1番悔しくて、1番楽しくて、1番勝ちたかった大会が終わった。
やり切った。でも、勝てなかった。やっぱ自転車競技はオモシロイ。
これにて、学生レースは終了。
小学校6年間は野球、中学校3年間は陸上、高校3年間は自転車競技の短距離、そして大学4年間は自転車競技で中長距離に挑戦した。
どれも自分にとっては、最高な経験で最高な思い出。
そこで関わったすべての人たちは、かけがえのない宝物。
そして私はこれからも挑戦し続けていく。
感謝を忘れず、全力で。

 

<Photo &編集 Fumihiro Fukai>